丸山眞男没後10年

丸山眞男の没後10年になる。読売新聞に「没後10年 丸山真男を語る(上)」「没後10年 丸山真男を語る(下)」という記事が出ている。

読売新聞の編集委員が司会役を務めずに一人の論客のように話しているのはご愛嬌だが、次の苅部さんの発言が面白い。

岡田斗司夫さんたちが手塚治虫について評された言い方を借りると、丸山真男の中に、「白丸山」と「黒丸山」、二人の人物が共存しているようなところがある(笑)。市民は自らの理性に目ざめて政治にかかわるべきだと推奨する丸山と、大衆社会では理性の発揮など不可能で、人々は情報操作を通じて政治権力に管理されるだけだと説く丸山と。60年安保の際、市民に立ちあがるよう呼びかけた「白丸山」の側面のみが、いつも注目されてしまうのは不幸なことだろう。」

どうも丸山についてもヴェーバー的な読みの推移があるようだ。丸山は近代の擁護と近代への懐疑とを同時にもっていたと思えるが、最近ようやく丸山の近代への懐疑の視点が取り上げられるようになった観がある。

60年安保以降、現実政治への働きかけを諦めて、専門の日本政治思想史に集中するという「本店」「夜店」の話でまとめられてきたことが、近代への擁護と懐疑という軸で論じられ始めているということだろう。

また「型」への着目。同じく苅部さんの発言から。

「丸山は自分の名前が活字になるとき、旧字の「眞」を使うようこだわり、手書きの署名をも厳格にそうしていた。これは、現代人の生活が「型」や「形式」を失っているという問題意識とつながっている。

 徳川時代にはあった「型」、整った言葉づかいや、身体動作の作法、体系だった知の方法といったものが、近代になって崩れ、20世紀の大衆社会化がそれを加速した。たとえばこの批判は今の状況にも深く訴えるものだろう。先日、いきつけの図書館の職員の方が、「眞男」の字が読めないと言う事件も体験したが(笑)。」

この「型」の問題は本当に興味深い。「人生は形式です」と学生運動家たちに言った丸山だそうだが、文化を型と捉える視点は改めて検討すべき問題と感じる。

「型」の問題は形式主義とはまったく異なるものだが、こうした点については、ジンメル辺りをもう一度しっかり読み必要を感じる(そういえば『日本文化の形』といった本があったような...。)。

それにしても、没後10年とは.....