国保の問題

矢吹紀人『国保崩壊 見よ!「いのち切り捨て」政策の悲劇を』で紹介されている事例を某MLの記事から知る。

小泉政権の下での弱者切捨てがどのような現実を日々生み出しているのかということが痛切に伝わってくる事例である。

他企業のリストラのあおりを受けて会社が倒産した夫。夫婦の住んでいた社宅は競売にかけられ、その日の暮らしにも困る夫婦の国保の保険料は年間40万円。

「新しいマンションの賃貸料や車のローンなどをかかえながらアルバイト生活をする」夫婦だったが、その妻は甲状腺に持病を抱えていて継続的治療が必要だった。

こうした状況では国保の40万円を払える余裕はなく、しかし払わないと妻の治療費が全額負担となってさらに苦しい。

二人のとった道は嫌がる妻を説得しての離婚。それによって妻の保険料は年間で3万円ほどになる。その折、既に2年分滞納という保険料を無期限で払うよう北九州市から誓約書を書かされる。

しかし結局、保険料は9千円分以上、支払うことができなかったため保険証はとりあげられ、妻の治療費は全額負担となってしまう。

或る日、妻は自宅で動けなくなり、救急車で病院に搬送されるも、3日後に32歳の若さで亡くなる。

亡くなった際の「病名はバセドウ氏病 糖尿病 胃潰瘍 肺炎 全身出血。死因は衰弱死だった。」

北九州市は「構造改革特区の一番乗りをしたところで、小泉構造改革のもとで、失業などで困りきっている市民に対して情け容赦なく
国民健康保険料を徴収し、すこしでも払うのが遅いとちゅうちょせずに保険証をとりあげる「モデル市」」である。

妻が遺した手紙にはこうある。
「いつも具合がわるくてごめんなさい。....(中略).....今の○○の体は、いままでで一番つらい状態です。自分ではどーしようもないくらいです。....(中略).....結局 迷惑かけっぱなしでごめんなさい。....(中略).....いつまでたっても元気にはなれないし○○ちゃんにはもうこれ以上めいわくかけたくないの。
何もしれやれん。病院にも行けない。手術もできない。普通に元気にでいいのに。何でうまくいかんのやろうね」

ここで思い返されるのは、センが自分の理論と現実とがいまだうまく架橋できていないということを言っていたこと。彼の脳裏には、インドの事例などを含めて、おそらく、こうした悲惨な出来事があったのだろう。

各人の多様な生のありようを適切に評価しようとする潜在能力アプローチの提言から、近年の国連の人間の安全保障のプランまで、現実には前進を目指している動きがある一方で、収入などの単純な評価から一律に人々の生を規定しようとする日本の現実もまたある。

「改革」を行なう方向性は、国家財政をどうするかといったマクロな問題ではなく(もちろんこれ抜きには語れないが)、もっと日常の中にあるミクロな人々の多様な生のあり方にこそ定位しなければならないだろう。