血肉

なにやら物騒なタイトルになったが、田川建三氏の『宗教とは何か 上』をぱらぱらとめくる。最近盗作や剽窃の類のニュースが世間を騒がせているけれども、この本にも似たような話は出てくる。

荒井献氏といえば、東大で多くのお弟子を育てられた方で、岩波書店(!)から全集も出されているが、例えば岩波新書で出した『イエスとその時代』は相当怪しげな本になっている様子だ。

ともあれ『宗教とは何か 上』全体としては少々冗長な印象を受ける。けれども第2章「異質の世界の無視」に興味深い話があった。

ちょうど共同訳聖書の批判を展開している部分で、「『自然のままの人間は神の国を受け継ぐことはできず.....』。これも本当は『血肉は神の国を受け継ぐことはできない』という文で、神の国を受け継ぐのは霊的人間だということを言っている。」

ここの箇所で面白いなと思うのは、2千年前のギリシャ世界で「人間」という表現ではなく、「血肉」という表現で人間を現わしていることだ。

なるほど、イエスがパンを肉に、ワインを血に喩えたように、人間は血と肉から出来ている。即物的な表現というのか、血肉という表現はとてもストレートな印象を受ける。

さてこの箇所に付随して田川氏が問題にする共同訳聖書の基本姿勢というのは、2千年も前のテクストをそのまま訳したのでは読者に理解されないので、分かりやすいように「解釈」して翻訳するということである。

「血肉」では分かり難いから「人間」に変えているわけだが、確かにこれは読者を馬鹿にしているし、聖書というテクストがもつ異質性を消滅させてしまう。こうした翻訳の傾向はアメリカのキリスト教会の影響からのようである。

同時代でもテクストの読解は難しいことなのに、2千年も前の書物だったら、分かり難くて(場合によっては理解困難で)当然のことだろう.....