フルトヴェングラーの悲劇

どうにも眠れないので、丸山眞男吉田秀和氏の対談「芸術と政治」をちらほら読む。

トスカニーニファシズムを嫌ってイタリアの聴衆を見切ってニューヨークに行ったのに対して、フルトヴェングラーはドイツの聴衆と共にいる道を選んだという話の後、丸山が言うことは単にフルトヴェングラーの悲劇に留まらない問題を現代にも突きつけているように思われる。

以下、こちらのサイトからの長い抜粋的引用。

フルトヴェングラーは、驚くほど、政治・社会情勢について無知なんですね、『いきなり、ナチがキノコのように大地から生えてきた』と言っていますが、じっさい彼の実感だったと思うんです。ラジオも持たずほとんど新聞も読んでなかったんですね。だから、ナチの政権獲得のすこし前にヒットラーとも会っているんですが、ほとんど何の印象も残っていない。まさかあんな男が…というわけで、非常にナチを甘く見ていた。これは、フルトヴェングラーだけでなく当時のドイツのインテリ、それも第一級のインテリに共通に見られる傾向なんです。1930年頃から33年頃にかけて、哲学、社会科学などの雑誌を見てわれわれが最も驚くのは、ナチというものを真正面から分析の対象にしたものがほとんどないということ、つまりまったくバカにしているわけです。あの無学で野蛮な乱暴者どもという感じでしょう。そういうことで、自分は『高級』な哲学なり社会科学の研究に専念していた、ある朝に気がついてみたら、ナチの支配下にあった、というわけです。これはフルトヴェングラーの問題だけじゃなく・・。
(中略)
それからもう一つ、フルトヴェングラーの悲劇は、さっきの問題にかえるんですが、『芸術と政治とは真空に存在するのでなく、ともに・・・・・働きかけるための公衆が必要なのです』と言っていますね。原文ではこの公衆というのはPUBLIKUMとなっている。『プブリクム』には、音楽会の『聴衆』という意味と、いわゆるパブリックという意味とがあるわけで、フルトヴェングラーがあちこち使っている場合もその両方を含めているようですが、いずれにしてもそれはたんなる『マス』(大衆)ではなく、むしろ範疇的にはその対立物ですね。マン・イン・ザ・ストリートではなくて、ドイツ文化の担い手としてのいわば積極的な市民−そういうものとの『共同体の体験』をフルトヴェングラーは考えていた。ところがナチというのは、まさにパブリックをマスに徹底的に解体しちゃったところに支配を打立てた。ですから、公式的な言い方になっちゃうけれど、第一次大戦後のドイツには、ミルズなどが言っている公衆共同体(Community of publics)から大衆社会(mass society)への変貌がとくにドラスティックな形で起ったのに、その基盤の変化を見抜けなかったところに、フルトヴェングラーの致命的な錯覚があったというほかないんです。これもむろん彼だけのことじゃないですけれど、少なくともフルトヴェングラーを支えて来た、また彼が音楽を通じて働きかけようとした、そういう積極的なパブリックというものは、現実にはもう解体されていたんですね。
(中略)
ルッターに有名な『キリスト者の自由』という著作がありますね、その基本的な考え方は要するに、肉の世界は全部外的なものに繋縛された隷属の世界であり、精神的な自由だけが絶対的なものでこれが霊の世界である−こういうように内的な世界と外的な世界とを峻別して自由を内面的世界に限定する考え方、こういう考え方がドイツにはずっと伝統的にあって、いろいろ形をかえながら、文化と政治というものを区別する、その区別の仕方にもあるパターンを与えていると思うんです。つまり、同じく文化と政治を区別するといっても、外的世界のなかでもとりわけ外面的な政治なんかどうせ、バカなものでオレの知ったことじゃない、内的世界において精神の独立さえ維持されればいい、と考えるか、それと反対の考え方、政治と文化とは社会的には必然的にまじり合っているものだ、それゆえにこそ、文化の立場から政治を批判し、政治に対して発言する−−
これは政治を直接目的とした行動じゃなくて、むしろそれ自体非政治的な文化の自律性を守るための政治的発言ですね−、こういうふうに考えるかで、同じく文化や精神の独立といっても非常にちがってくる。
 ところが、これも(トーマス・)マンが言ってることなんですが、そういう、非政治的な立場に立って政治に向かって発言する、というのが、ドイツ人はどうも苦手なんですね、政治に首をつっこむとなると、オール政治になっちゃうんです、つまり毒喰わば皿までということですごい権謀術策というか、赤裸な力を行使する。それでなければ、社会生活というものをまったく遮断して、そこでもって精神の独立を保って文化をエンジョイする、その振幅が非常に激しいんじゃないかな。」

丸山が言及する「フルトヴェングラーの悲劇」には、さらに音楽の抱える集団性・政治性をフルトヴェングラーが見誤っていたのではという点もある。

或る時代のドイツの政治的状況および知的状況が或る時代の日本と似ているという話をすることにどれぐらいの意味があるか分からないが、どうも1920〜1930年代のドイツの政治を取り巻く状況(人々の政治意識も含んで)は後発資本主義国という点でその多くが日独で共通しているように思われる(むろん、差異もきちんと踏まえないといけないが)。