南仏へ

3/2(Thr.)夜明けが訪れる前のパリを後にして、オルリー空港からボルドーへ。車をレンタルしてボルドーからニースに移動する3日間が始まる。早速旧市街が世界遺産に登録されているサンテミリオンへ向かう。
8世紀に起源を持つサンテミリオンは元来岩を掘って作られていることもあり、数百メートル四方の小さな村である。ボルドーの街で使われている石材の多くもこの村から運ばれたらしい。

世界遺産に登録されている割にひっそりとした村の中は、石畳、石壁、、、まさに石で作られた村という印象だ。昼食を済ませてから、鐘塔に登る。狭い螺旋階段に少し辟易しつつも、最上階に登ると素晴らしい眺望である。上から見渡すと村自体に起伏が結構あって、随分と勾配のある坂がある。村の外側はほとんどが葡萄畑で、さすがはボルドーである。ただこの時期は剪定を終えた葡萄の木があるだけなので、あの曲がった木の幹や枝だけが並ぶ景観は少々不気味でさえある。

村の中にあるシャトーに立ち寄り、洞窟の迷路のようなワインケーヴを見せてもらい幾種類かのワインを試飲する。ここのものは少し酸味がきつい。悪くはなかったが、購入には至らず。

少々ワインを飲みすぎたので、ホテルにいったん帰った後、村のインフォメーションでやっている地下教会拝観ツアーに参加する。通常はフランス語のツアーらしいが、最終回でわれわれだけということもあり、英語のツアーにしてくれる。案内役の男性の流暢な英語に魅せられつつ、あっという間の45分だった。

地下の教会にはかつて僧侶たちが瞑想をしたという椅子が作られていたが、これを見た瞬間、大船にある寺を思い出した。そこの禅宗の寺にも僧侶が掘って作った洞窟があって、同じように瞑想(座禅)するちょっとしたスペースが作られていたからだ。修道する人々の共通性を感じる。

ツアーを終えて、ホテルの目の前にあるワイン屋に立ち寄る。ここで試飲したワインが美味しかったので2本買い、また偶然私とJさんの生年のワインがあったので買い求める。夜はK氏が買ったパンとチーズ、ワインという修道生活のような食事で済ませ、早めに寝る。

3/3(Fri.)

朝食をとろうと階下にいけども、フロントが開いていなかったので、朝食はとらずに、鍵と書置きをしてホテルを後にする。今日はサンテミリオンからアヴィニョンまで600キロ近い移動である。高速の

最高速度制限は時速130キロ。しかし事前にネットで調べたルートが役に立ち、スピードカメラのある場所がわかるので、周囲の車に合わせて時速150キロ前後で進む。借りた車がBMWだったので、これくらいのスピードでもそれほどハンドルはぶれないし、快適である(アウトバーンのように速度が無制限だとさらに移動が楽だったが)。

車窓の景色は丘陵地帯に葡萄畑が延々と続く。カルカッソンヌの城砦を横目にトゥールーズを抜け、ニームを通り、3時頃にアヴィニョンに到着。旧市街にあるかつて僧院としても使われたホテルにチェックイン。古い建物だから部屋も古いだろうなと思っていたら、われわれの部屋はとてもモダンなものだった。

旧市街でお花を買い求めてからJ.S.ミルの墓がある墓地へ。J.S.ミル通りを見つけ、少し緊張した雰囲気に包まれながら墓地に入ったところで、ちょっとしたハプニングに遭遇する。門にいる墓地の係員に「ムッシュー!」と呼び止められたのだ。どうやら墓地でのカメラ撮影はいけないらしい。カメラを門の横にある受付のようなところに置いて行きなさいと言う。

われわれはアカデミックな研究をしている者でミルのお墓参りに来たのですと説明しようとするが、英語が通じないので困った。ただJ.S.ミルの墓ということを再三強調して、件の男性はようやく「ああ、ミルの墓か!」と合点がいった様子。「案内するからついてこい」と墓まで連れて行ってくれる。

近年修復されたようでとても綺麗なミルのお墓を前にすると名状し難い印象を受ける。1枚だけなら写真撮影してよいということだったので、写させてもらう。数分だったが充実した時間を過ごしたので、墓地の周りを歩くことにする。地図にミルの〜と記されたものがあったからで、行って見ると学校のような雰囲気。ドアを開けて入ると小さな女の子がいたので、K氏が話しかけると、手でクロールの真似をしたのでわかった。ミルの名前がついた水泳場だった。ほかにも集合住宅にミルの名前が使われていたが、墓地には別の入り口からも入れるようで、そこから入って、今度はゆっくりとミルの墓を見る(近くには教育学のKさんが論文で取り上げていたコンペ(だったかな)のお墓もある)。

17世紀の大洪水で途中までしか橋がかかっていないサン・ベネゼ橋を見たり、旧市街をゆっくりと散策する。小道が入り組んでいて、なかなか興味深い街。夜はヴェトナム料理屋。フランスの植民地だったこともあり、街中には結構こうしたお店がある。