待ち組

現代社会には勝ち組、負け組、待ち組というのがあるらしい。ネーミングが小学校のクラス編成のようでもあり、冗談かなと思っていたら、小泉首相が真面目に使っているようだ。

「『勝ち組』『負け組』のほかに、挑戦しないで待っている人『待ち組』がいると思います。そういう人々も、持てる力を存分に発揮し、一人ひとりの創意工夫を生かすことができる社会にしなくてはなりません」

「〜組」という使い方は感心しないけれども、個人の努力だけでなく、一人ひとりを活かすのは社会であるという認識は彼にしてはまっとうではないだろうか。

 しかしそのような社会にするための努力をしているのかといえば、厳しいようだがさっぱりとしか言えない。10年前からのアメリカの主張に即して日本社会をさらに混乱させ、その一方で不当な利益を得ているとしか思われない。。。

待ち組発言に関連して「ニート」という存在が(定義も曖昧だが)マスメディアで持てはやされるほど増えていないことは以前からも指摘されていたが、東京新聞で本田氏の見解が取り上げられている。

記事にもあるが、「今回の「待ち組」発言を『これまで小泉政権が繰り返してきた論点ずらしや言葉遊びの一つ』と酷評するのは、エコノミスト紺谷典子氏だ。」

そしてこの論点ずらしを一緒になって楽しんでいるのがマスメディアの一般的傾向である。

最重要課題である経済の問題から目をそらすために青少年犯罪の凶悪化などのいい加減な話を流通させたり、官邸発や警察発の大本営的発表を鸚鵡返しにするのはやめにする時期だろう。

一部には手堅いメディアもあるが、多くのマスメディアには少年の心の闇よりも、政官財の相変わらずの癒着の闇の方こそをしっかりと告発してもらいたい。そうして初めてまっとうな社会作りの第一歩が踏み出せるだろう。

しかし第一歩はまず自分からか。。。