タイ鍋

昨日は某会の幹事会の後、お蕎麦屋さんで早めの夕食。帰宅してそのまま眠ってしまう。。。夜何気に、こちらのHPを見て「アメリカ」という呼称について考えさせられる。

確かに通常アメリカというと、アメリカ合州国を指すが、アメリカは南北アメリカ大陸を含む概念だった。それがアメリカ合州国のみを意味するようになってしまうこと。。。

さらにそれに続く記事では、「インディアン」という呼称が問題にされている。近年「インディアン」は差別語だから「ネイティヴ・アメリカン」という呼称に変えましょうという動きにある。

しかしそのブログでも指摘されているが、「ネイティヴ・アメリカン」とは妙なネーミングである。もちろんアラブという言い方がそうであったように、先住民らはそれぞれの族の名前で自らを認識していたのであり、彼らの総称は「彼ら」に対する「何者か」(スペイン人やフランス人、イギリス人など)が存在することによって初めて生まれた。

そこでその先住民の名を「インディアン」としたわけで、それは現在の彼ら自身が用いるアイデンティティーを指す言葉でもある。インディアンと括られ抑圧され虐殺された過去をもち、現在もその差別の歴史から逃れられていない人々が自らをインディアンと呼ぶ。それをネイティヴ・アメリカンという言葉で括り「同化」を強要するのはいかがなものかという話。

中立的な名辞が歴史をいかに隠蔽してしまうかの典型例でもある。

さて今日は3時過ぎに買い物に出かけ、某所で待ち合わせ。Tさんに来て頂き、タイ鍋を作ってもらうことになっていたからだ。また留学中のHさんも誘い、Jさんと4人でお鍋を囲むことにする。

Hさんの手土産の蓬莱の肉まんを食べながら、準備する。日本のお鍋と異なるのは、香菜が入っていることぐらいで一見、何の変哲もない。ところが食べ方が随分と異なるのに驚いた。

お鍋の具をチリソースとオイスターソースを煮詰めたタレにつけて食べる。結構辛いので、つけすぎないよう注意しないといけない。

つけるのは、タレだけではなくて、そこにニンニクのみじん切りや唐辛子の輪切り、そしてライムをかける。このライムというのがユニークだが、めっぽういける味になる。不思議なまろやかさが出るからだ。それにいろいろな味を楽しむことができるのがよい。

サイドにはラープムーというサラダ。挽肉を炒めて、それにいろいろなスパイス、炒ったもち米などが入って、サンチュで包んで戴く。これがご飯によく合って、ばくばく食べてしまいそうになる。使われている小さな玉ねぎは味がぎゅっとしまっているタイ産のもの。

これにお好み焼きをと思ったが、上の二品に加えて、Jさんがピータン豆腐(随園別館の味)を作ってくれたので、満腹になる。

Tさんに先週行かれていたタイの話などを聞いたり、バンコクの写真を見たりしていると、タイに行きたくなってしまう。。。