艶やかなチェロと透明なピアノの響き

昨夜、浜離宮ホールでの水谷川優子さんのチェロ・リサイタルは素晴らしかった。チェロのボウが弦に触れた途端、艶やかなチェロと透明なピアノがホールを満たした。

プログラムは前半ブラームスと後半ラフマニノフ。プログラムのEssayには水谷川さんが幼少の頃から「憧れ」を抱き続けた作曲家がこの2人だったという。

「焦がれて焦がれたのは双方とも、その響きであった。まったく異質な性格を持つ2人の作品なのに『満たされない物を抱えている』ように聴こえた」。

私もブラームスには、どの作品を聴いていても、巨大で堅牢な城を思わせるアンサンブルに彼の自信と情感が溢れている反面、ベートーヴェン「第九」第4楽章でバリトンが「友よ、この調べではないのだ」と歌わせているような、何か「満たされない」ことに対する苛立ちのようなものを感じるところがある。

昨晩時折水谷川さんが視線を左上に上げて遠くを見るような仕草をされていたが、まるでブラームスの抱える「満たされないもの」を探しているような気がした。

おそらくこうした二つに引き裂かれるような緊張の意識がないブラームスの演奏は詰まらないものになってしまう。その意味でも、水谷川さんのチェロとロトさんのピアノが奏でるブラームスは誠にブラームスの音がした。

聴き惚れている内にあっという間に終わった前半の後は休憩を挟んでのラフマニノフ。私も好きな作曲家だが、好みが偏向していて基本的にピアノ協奏曲くらいしか聴き込んでいないので、歌曲やチェロ・ソナタを聴くのは初めてだった。

チェロ・ソナタはピアノ協奏曲第2番の作曲直後の1901年に作られたらしい。随所にその片鱗を聴くことができるのも楽しいが、どこかこう一つ突き抜けた感じがする。

チェロ・ソナタではお2人のこれまた素晴らしいコンビネーションで、第3楽章に来ると、もう第3楽章かと思ってしまうほど、夢見心地で聴いてしまった。

艶やかに美しい高音から、張り裂けそうな低音、それもコントラバスのような重低音のチェロをピアノが優しく包み込みつつ、時折ピアノも爆発して前面に踊り出す。息の合ったお二人の演奏から流れ出す響きに、ただひたすら酔う時間の心地よさ。。。

ヴォカリーズは水谷川さんのCDにも入っている曲だが、とても新鮮な演奏だった。透明感溢れるピアノをバックにして、驚くほど繊細なチェロが歌い上げる響きはリサイタルという1回限りの演奏がもっている「奇跡」である。

アンコールはブラームス「歌の調べのように」と御祖父の「ちんちん千鳥」。両曲とも、最後まで身が震えるほどの感動を覚えつつ、リサイタルは終わった。。。