IDの台頭

CNNによると、アメリカのカンザス州の教育委員会は「創造論」による科学教育を賛成6(全て共和党員)、反対4(共和党員2、民主党員2)で可能にしたらしい。

アメリカでは20世紀初頭から、こうした反進化論の動きが宗教的保守派から出ているが、とりわけブッシュ政権に見られるような最近の宗教の右傾化で、こうした動きは加速しているように見られる。

近年では「神が世界を創造した」という言説ではなく、「「何らかの知的な存在」が生物進化を引き起こした」というID(インテリジェント・サイエンス)が反進化論の言説として登場してきた。

IDは政教分離の原則に抵触しないように、一見(キリスト教における)神とは無関係の主張をする。しかし「何らかの知的な存在」という表現で指示しているのは神であり、科学教育の中に宗教を密輸入する巧みなレトリックなのだ。

WikipediaでID創造論者の戦略と現状をまとめた鵜浦裕氏によれば、IDは第1に潤沢な運動資金を奨学金や研究費にあて,「批判」研究を出版させ,「生物進化論をめぐる科学論争」にID勝利の既成事実化を試みる。第2に教育論争においても政教分離の原則内で論陣を張れるよう「神による創造」を争点からはずし、「生物進化論vsデザイン」の対立軸を設定する。第3にこの対立軸を「信仰の否定vs信仰との調和」の対立軸に重ね合わせ、生物進化論は科学教育としても信仰としてもふさわしくないことを中道派市民に説得する。第4にID派の支持で当選した州議会議員や教育委員が「論争がある場合には賛否両論を公平に教える」という遠まわしの表現を州や学区の教育方針に滑り込ませるのだと言う。

近代の科学が神的秩序の発見を目指し、例えば19世紀地質学がノアの洪水の年代特定などをはじめ、聖書の記述と科学的知見とをいかにすり合わせるかといった作業を行なっていたことを考えると、こうした思想傾向はキリスト教世界では目新しいものではないが、学校での科学教育に取り入れられるとなると、随分と困ったことになる。IDは科学ではないから、科学教育の中に持ち込まれることは百害あって一利なしである。

もちろん創世記の記述を信仰することは個人の自由である。しかし例えば青野太潮『どう読むか 聖書』のように「知的に」聖書を捉える信仰者の在り方は大切だろう。

同書で、神は似姿に人間の男女を同時に作ったという話と、イヴはアダムの肋骨から生まれたという話とが共存していると指摘されるように、旧約新約に限らず聖書を丹念に読めば、編集上の欠陥は明らかだ。

信仰と認識とが異なることに問題はない。問題は事実に向き合いながら、冷静に議論する土壌をいかに確保できるかにある(ほとんどがすれ違いに終わることが多いが)。