日の丸の掲揚について

ここ数年、石原都知事が日の丸を祝祭日に掲揚することを薦めている(強制している!?)こともあって、東京都教育委員会も式典などの際に日の丸掲揚を薦めている(強制している。現在の状況でこれに反対すると減給・停職・免職になる)。

先日(といっても随分と前だが)のシンポで卒業式の日の丸掲揚に反対し君が代斉唱の際に起立したいため減給処分を受けている教員が言うには、それらを強制する人々は自宅では日の丸を掲揚していないらしいし、君が代を歌うこともしないらしい。石原都知事に至っては「緑の日」でさえも。。。

つまり公的な場所では日の丸を掲げ、君が代を歌うことを強制する人々が一個人に戻った際にはそうしたことにまるで関心をもたないようなのだ。

おそらく石原都知事をはじめ、彼らにはそうしたことを強制しているという責任意識は存在していない。時代が、或いは状況が国家的なるものへの忠誠を示すことを欲していたと、まるで開戦に踏み切った御前会議を振り返って発言している人々と同じようなことを言うように思われる。

最近の自民党改憲案を見ていても、戦前に逆戻り、臨戦態勢を整えようとしているように見える昨今、気が付けば、『茶色の朝』のようになっていないようにしなければと思う。

デモは意思表示として或る程度意味はあるとは思うけれども、現在のようにせいぜい数百数千の人しか集まらないのでは政治的効果としてはあまり意味がない。

茶色の朝』のように分かりやすい形で訴えかける必要があるだろう。。。