共謀罪・人権擁護法案

共謀罪法案や人権擁護法案など、キナ臭い法案が十分な審議もせずに通過しそうな気配にある。

これらの法案が問題なのは政治家の権益を守ることや政府批判の抑制を狙いとして、市民の内面的な自由を大きく制約することにある。横に倣え、長いものに巻かれろといった風潮がより強化されてしまうことになる。

確かに自分の抱えている不都合を指摘されることは心地よいものではない。良薬口に苦しだが、一個人の場合と、権力に関わる政治家の場合とでは問題はまったく異なる。

911を境にして、犯罪を「事前に」予防しようという発想が強化されてきた。共謀罪については、その背景の国連越境組織犯罪防止条約とは大きく異なる。「そもそも「国連越境組織犯罪防止条約」は、マフィアなど国境を越えて活動する「金銭的、物質的な利益を得る目的」を持つ、「組織犯罪集団」の犯罪防止を狙いとしています。ところが政府・法務省は「国際協調」などと説明しながら、肝心の共謀罪の内容を、「条約」と決定的な点で違えている。つまり共謀罪が適用されるのは、必ずしもそのような「目的」を持った「組織犯罪集団」だけではないのです」

また人権擁護法案に反対する動きの中で気になることがある。

例えば人権擁護法案反対フラッシュでは、なかなか面白く人権擁護法案の恐ろしさが描かれているが、反対の理由が捜査令状なしに家宅捜査できる人権委員会の強力な権限への反対から、いつの間にか人権委員会を構成することになるかもしれない人々の問題へとずれ込んでいく。

辛坊氏が「何が人権侵害かを実質的に判断し、指導する役割は役人の手に握られるということだ」と指摘するように、人権擁護法案は様々な問題を抱えているが、2チャンネル系では、「解放同盟、朝鮮総連、民潭、創価学会」に属する人が人権委員を構成するかもしれないという危惧に重きを置かれ、反対が表明されている。

人権擁護法案という悪法が成立しないためにはこうした反対のうねりは重要で共闘(!?)しなければならないが、どうも2チャンネル系のこうした妙なナショナリズムには違和感というか不快感を覚える。。。

それにしても「人権擁護」とか「改革」とか、それ自体はプラスと評価される標語を用いて、実態は「人権蹂躙」と「改悪」が行なわれているのを見ると、言葉の力が失われているのだなと感じてしまう。

ただそうしたキャッチフレーズが力を持つのなら、単なる反対の表明だけでなく、何かよい標語を作り出さないと世論への訴えかけとしては弱いものになってしまう。

「改革をとめるな!」に対して「改悪をとめよう!」では能がないので、何かよいのがないだろうか。実感としては「これ以上、われわれを苦しめるな!」といったところか。

ところで、パキスタンでの地震は大変なことになっているようだ。現地では救援の手が足りず、わずかな傷を負った人でも傷口が数日で化膿してしまい、そのまま処置が施されないので、手足の切断に至ることが少なくないらしい。その点で現地に現金を送り、そこで医療活動を展開することが緊急のようだ。

また明後日、16日日曜日の午後1時頃から渋谷のハチ公あたりから共謀罪法案に反対するデモがある。できれば出かけたいところだが、論文が.....。