国際道義。。。

先日の勉強会でNagelの議論と関連して、たまたま枕元に置いているE.H.カー『危機の20年(1919-1939)』(岩波文庫)をぱらぱらとめくる。

カーの名著『歴史とは何か』も読み応えがあるが、この本もなかなかよい。

第3部「政治・権力・道義」の第9章「国際政治における道義」では、道義という言葉の意味分析から初めて、こんなことを言っている。

絶対王政から近代国家が自立し、国家機構が複雑になり、立憲主義が発達してきたために、王の個人的責任と問題なく結びついていた国家的行為が国家という人格に帰責されるようになった。

国家の人格性は「その真偽が議論の対象となるような事実」ではなく、「必要な擬制ないし仮設である」。「道徳的権利義務をもち、したがって道徳的行動の能力があるとされる団体人という擬制は、現代社会の不可欠な手段であ」り、「このような擬制的団体人のうち最も欠かせないのが国家である」(276頁)。

さて、中曽根元首相のような保守的な政治家は憲法に権利ばかりが明記されていて義務が明記されていない、人々が自己の権利ばかりを主張するから世の中おかしくなっているのであり、国民の義務、国家への忠誠心を明記せねばならないと言う。

権利を頑なに主張することによって様々な問題が生じているアメリカでは、例えばミクロな次元の交通事故の場合、加害者が被害者を見舞ったとしても、加害者は法的責任が重くなるために決して被害者に謝らないから、被害者と加害者の関係は悪くなるばかりといったことが往々にしてある。

同様に、国際関係においても権利関係ばかりが主張される。竹島は日本の領土であるという主張に対して、独島は韓国の領土であるとの反論があったり。。。

竹島問題については或る韓国の学者が見事に言い切ったように、漁業権の問題なのである。歴史的経緯などもあって領土問題などは一朝一夕にはいかないし、そんな厄介な問題を「いまここで」議論してもしょうがない。それよりも、日々の生活に関わる漁業権の問題として論じればよい。

最近某評論家が友好の島として竹島を位置づけようと主張した。けれどもそれは多くの論者が言うように他者感覚の欠如でしかない。。。

閑話休題

国際関係における義務や制約については、国際法の発展が大きく寄与している。それをさらに強化して、国内的に義務関係を主張するとすれば(これは立憲主義からして明らかにおかしいが)、保守的政治家は同様にして日本の国際的な義務も主張してはいかがだろう。

各国の主権を侵害しない義務、飢餓や貧困が生じた場合にはいかなる国へも援助する義務、抑圧が生じている場合には当該国家に即時停止を求める義務.....

ブッシュ大統領に追随して、小泉首相がテロ撲滅を主張したいのであれば、フランス革命期の原義に戻り、イスラエルアメリカなどが行なっている国家的テロをまずは糾弾し、止めさせ、そして何もやることがない自衛隊イラクから撤退させ、国際道義について真剣に考え、もっと有意義なことに外交努力を費やすべきだろう。

どうも話が混乱しているが、おいおい整理するとしよう....。