いろいろ....郵政民営化.....靖国

今日は一日たまったメールの処理や書類作成に追われる。

朝とお昼は昨日小淵沢の直売所で買ったトマトときゅうり、お茄子を使う。とくに桃太郎のトマトが美味しい。

夜はJさん宅でイカ焼きに挑戦。イカ焼きは粉物で大阪名物!? 梅田の阪神百貨店地下のイカ焼き売り場では1日に1万枚以上も売るとか....。

しかしイカ焼きそのものを何十年と食していなかったので、あまり美味しくは作れない。やはり素直に、イカをただ丸焼きにするのが一番かなと感じる。

さて某MLで知ったが、「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」の冒頭、以下のような文章がある。

「本年の要望書において米国は、日本郵政公社の民営化計画が進んでいることを受け、勢いを増している日本における民営化の動きに特段の関心を寄せた。これに関して、日本経済に最大限の経済効果をもたらすためには、日本郵政公社の民営化は意欲的且つ市場原理に基づくべきだという原則が米国の提言の柱となっている。」

関岡英之氏は「アメリカが進める日本改造」で次のように指摘している。

「最近になって小泉総理は『郵政民営化は十年来の私の持論であり、初めて自民党総裁選に出馬したときからずっと政策課題として掲げてきた』と主張しています。実はアメリカが日本に対して郵政民営化を要求してきたのも十年前の一九九五年の年次改革要望書からです。

九五年はまだ英語版しかありませんでしたので、九六年の日本語版からその該当部分を紹介してみます。

アメリカは次のように要求しております。

『米国政府は日本政府が以下のような規制緩和及び競争促進のための措置をとるべきであると信ずる。郵政省のような政府機関が民間保険会社と直接競合する保険業務に携わることを禁止する』

『政府系企業への外国保険会社の参入が公正、透明、非差別的かつ競争的な環境の下で行なえるようにする』

 つまり、アメリカの要求は官が保険会社(簡保)を経営することを禁止しろ、と言っているわけです。また、政府系企業に対して外資が参入できるように、経営参画できるようにせよ、と。要するに、買収できるように環境を整えよと、すでに十年前から要求してきているわけです。」

「海外メディアが伝えた小泉・郵政解散劇の評判」で、立花隆氏はこのような小泉改革を以下のように評している。

「日本の戦後の経済的成功を支えた国家体制=国家資本主義体制(1940年体制)の根幹部分は、世界最大の銀行たる郵貯などがかき集めた郵政マネーを国家が中心となって公共事業に投資して回転させていくという行為それ自体によって日本経済の根幹を支えていくという国家中心の資本主義体制にあったわけだ。

日本の経済力をつぶそうと思ったら、この根幹部分をつぶすほかないと見抜いたアメリカのプレッシャーと願望と、たまたま郵政省と郵政族に深い恨みを持った、ちょっと頭の弱いポピュリスト政治家(小泉首相のこと)の望みが一致してはじまったのが、小泉改革の4年間とその頂点としての郵政民営化大騒動だったということではないのか。」

細かい部分ではいろいろ問題があるけれども、大枠はそうだろう。

また立花氏も指摘しているように、戦後政治を大枠で規定してきたのは「アメリカの意思」であった。たとえ日本の預貯金が日銀に集まりアメリカの国債の購入資金に充当され、アメリカの軍事予算の大きな一端を担っていたとしても、である。

このあたり、どうも問題は根深い。。。

一方で、8・15。やはり、以下のような事件が起きていたことを知る。

「2005年8月15日正午前後、靖国神社周辺・九段坂下の路上で『戦争反対』『戦死者の〈英霊〉化反対』の意思表示を行っていた市民50名余りが警察に暴行され、そのうち4名が逮捕されました。」

事件の詳細は分からない。しかし昨年のアメリカ大使館前で抗議行動に参加した際、ブッシュ大統領張りぼてをかついだ人が警官に道を塞がれ、結局大使館前まで進んで来れなかったことがある。

あの折、強行突破していれば、今回の事件のように「公務執行妨害」で逮捕、代用監獄に勾留され、家宅捜索などによって当人の社会的抹殺が行なわれたに違いない。

そうした警察の前歴・性質を考えると、今回の8.15の事件も、不当逮捕が濃厚のように思われる。

8月15日の正午、或る遺族や右翼団体からすれば、靖国に祀られている英霊たちを哀悼することは自然なことなのであろう。

しかし我々が捉えておくべきことは、現代日本の平和はアメリカの軍事占領や朝鮮戦争などの国際的関係を背景にして、日本の近代化を支えた無数の人々の犠牲の上に成り立っているということである。

そうした人々を見捨て、二次大戦の軍人のみを英霊化し、その御霊を称揚せんとする恐ろしく貧困な発想は、現在進行中のファシズム化と軍事国家化を正当化するイデオロギーにしか過ぎないが、意外に一般に受け入れられているのも事実のようである。

このように重大な事態が進行している中で、ニュースでは些細なことばかりが取り上げられている。誰かが怪我したとかはその事件当事者には重大なことだが、社会的に無用な記事はいい加減止めたらどうだろう。

ただでさえ、スポンサーの問題で、まともな社会的問題が報じられないのだから.....。