自民党憲法起草委員会

某MLでも某先生が公共哲学の危機を訴えられていたが、自民党憲法起草委員会の要綱を見る。要旨はこちら

委員長が森喜朗前首相であり、自民党の勢力関係からして、内容は読まずとも、だいたいの見当がついた。憲法にまつわる問題は大小様々にあるが、公共哲学との関連では、現行憲法の「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と言い換えられている。また全体のトーンとしては、「個人の権利には義務が伴い、自由には責任が当然伴う」といった個人の国家に対する義務や責務が謳われている。

立憲主義とは国民を縛るものではなくて、国家権力の範囲・行使を制約するものであるという基本的な事柄がまるで理解されていない(もちろんこうした無理解は戦後自民党の中で底流として存在していた)。まったく軽挙なのである。思慮がないのである。

斉藤貴男氏が指摘していたが、今の政治家が単なる2世、3世ではなく、かつて戦争を主導した政治家や軍人の2世、3世であることを心にとどめておくことは重要なことだろう。

かつて日本軍は捕虜の虐待を行ないつつ、同時に捕虜の待遇改善に尽力していたという奇妙なことがあった。丸山眞男はそれを「無責任の体系」として分析したわけだが、戦後60年を経た現在も、政治家の挙動を見ると「無責任の体系」から抜け出ていないようだ....。

懸案の第9条には「自衛軍」という名称がつけられ、「地球上いずこにおいても圧政や人権侵害を排除する」ことが国の目標として掲げられるらしい。後者の理念は立派であるが、なぜそれが軍隊の明記と関連付けられるのか。理由は明確である。今現在のアメリカ追従の戦略を正当化するだけのことであろう。

また「多元的な価値を認め、和の精神をもって国の繁栄をはか」るならば、17条憲法の1条だけを抜き出すのではなく、最後の条までしっかり読み込んだ上で謳ってもらいたい。最後は、「夫(そ)れ事をば獨(ひと)り斷(さだ)むべからず。必ず衆(もろもろ)と與(とも)によろしく論(あげつら)ふべし」。広く世論に訴え議論して、つまり万機公論に決すべしである。