フルトヴェングラー第九(バイロイト)

この1年ほどCDを買い漁ることをしなくなった。理由はいろいろある。とくに生演奏の素晴らしさに接すれば接するほど、CDになった際のあの躍動感の無さに失望することが多くなったからだ。

例えばラトル=BPOのジルヴェスター。曲目は「カルミナ・ブラーナ」で生中継された音質というか、演奏の伸びやかさは絶品だったが、CDの編集によって弦の伸びやかさも、全体のうねりも見事に消えている。総じてNHK衛星放送のライヴ録音の音質は素晴らしいと思うが、CDの編集過程でどうも平板になってしまうようだ。

そんな中、今年に入って買ったのは、チェリスト水谷川優子さんのCDと、フルトヴェングラーの第九(バイロイト)である。水谷川さんのCDは1月の某新年会で聴いて、これは買わねばと即断した本当に素晴らしい出来のものだが、これについては、また後で触れることがあると思うので、今日HMVから届いて先ほど聴いたフルトヴェングラーの第九について感想を。

1951年、戦後初のバイロイト音楽祭の開幕でフルトヴェングラーが指揮した第九の録音は、ベートーヴェンの第九演奏の中でも不動の地位を築く名演とされている。この録音には無数の盤があって、初めて聴こうかと思う者にとって、どれを選んだらよいか迷うほどだ。

今回購入したCDは「HMV初版フラットプレス 超ミント盤より復刻」とあるOTAKEN RECORDS TKC-301である。第1楽章、創世の混沌を表現する5度の音程が進む中、緊張が高まる。全体的に音が明瞭で、とくに弦楽とティンパニの音がよく聞こえる。合唱ではバスが後ろに退いているように聞こえるのはバイロイトの録音の特徴だが、それでも他の盤に比べればよく聞こえるように思われる。

しかし、である。音質も素晴らしく、各楽器の様子もより明瞭になったにもかかわらず、感動ということには至らない。絶賛の人が多い中、このサイトの方の印象に近いものを抱いた。

演奏や録音の評価に感動という体験を求める心性が正しいとは思わないが、なにせ第九である(しかもバイロイトである)。様々な苦悩に苛まれたベートーヴェンが最後に!?辿り着いた第九に感動を求めずにはいられない。フルトヴェングラーの演奏を聴きすぎて慣れてしまったということなのか、部分部分凄いなと思うところはあるが、聴き終わって少々戸惑いを覚える。