ドタバタ

午前中、午後に報告するレジュメを修正したり、懸案の論文リストを作成したりする。直前にドタバタするのはいつものことだが…。

午後、本郷でベンサム研究会。1つ目の報告はベンサム功利主義における歴史の次元をポストモダンの用語を使って分析した論文。エンゲルマン氏の著作と同様、どうも分かりづらい。

2本目は“Sir Francis Burdett and Burdettite Radicalism”の報告。貴族にして急進派という特異な論客バーデット。古来の国政の称揚など、どうにも保守的だが、著者のDinwiddyの詳細な下調べに脱帽。例えば、拘禁されたバーデットが釈放されたことを祝って、10匹の(小)羊がノッティンガムの様々な場所で焼かれたことなど。。。一次資料にあたって調べ上げたのだろう。

3本目は“Bentham and Marx”を報告。1990年5月14日に予定されていたDinwiddyの教授就任講演の草稿であるが、彼が同年4月に急逝したため遺稿となった。マルクスベンサム批判が著しい誤解に基づいていることや、William Thompsonというアイルランド人がベンサムマルクスを折衷したような議論を展開していたこと、ベンサムが人間の完成可能性(perfectibility)に懐疑的であったことなど。

研究会の後、竜岡門そばにある喫茶店で談笑。既存の政党政治に幻滅した人々の受け皿としてUtilitarian Partyの立ち上げができるかどうか、バーデットのように政治家への訴えかけなどを行なうにはどうしたらよいか、また苦しさや貧しさといった主観的問題にまつわる「適応的選好形成」の問題について議論する。

昨年とある記念パーティで出会ったご婦人は、都内に一戸建ての家をもち、軽井沢にワインセラー室を備えた別荘をお持ちだったが、生きるのは苦しいことだと切々と語られていた。

日本社会という観点から見れば、その方の位置する場所は恐ろしく上の階層になるわけだが、当人の意識からすれば、生きるのが苦しいほど大変なのだと言う。

このような苦痛に苛まれている人に、あなたの苦しみは所詮おめでたいことに過ぎないと指摘すること(「適応的選好形成」の結果に過ぎないということ)にはどこか違和感を覚える。しかし、さりとて問題なしともできない。厄介な問題である。

経済学で言う「必要品」と「奢侈品」の区別が困難なことと通じる面がある。

夜は、六本木の某ホテルで某会の打合せ。会計のことなど諸々。

打合せの後では、某御大から発声のコツを教わる。早速今度の練習の折に試してみよう。