The Power of Nightmares

6月にNHKで放送されたBBC制作の『「テロとの戦い」の真相』、第2回まで見たが、興味深い内容だった。

アダム・カーティス脚本・制作で、英国アカデミー賞(BAFTA)テレビ部門賞受賞。カンヌ映画祭でも特別上映された。肝心のアメリカでは放送予定がないらしい。

以下はNHKのサイトから。

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▼第1部「イスラム過激派の誕生」(原題:Baby It's Cold Outside)

 かつて政治家はより良い世界の夢を提示したが、いまでは人びとを悪夢から守ることを約束する。国際テロリズムは本当に指揮命令系統が一本化された国際組織なのか、それとも西側社会の崩壊を防ぎ、政治家が失いかけた権力と権威を取り戻すための幻の脅威なのか。物語は1940年代末、エジプトとアメリカで生まれた二つの集団、イスラム過激派とネオコン新保守主義者)のルーツを訪ね
ることからはじまる。両方とも、現代の行き過ぎた自由主義個人主義こそ社会崩壊の元凶と信じたが、やがて道徳と秩序の回復に恐怖を利用するようになっていく。

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 ネオコンの思想的・人的支柱となったのが『ホッブズ政治学』で知られるレオ・シュトラウスである。シュトラウス学派の創始者保守主義者という意識しかなかったが、国民統合の神話が必要だとして、様々な「敵」からアメリカを守るという物語を彼の弟子たちが広めて行く。ネオコンイスラム原理主義の誕生の契機が1940年代の消費社会における物質主義などにあるという点が興味深い。

ネオコンレオ・シュトラウスと彼の弟子(ポール・ウォルフォウィッツ、ダグラス・ファイス、リチャード・パール、フランシス・フクヤマなど)、イスラム原理主義は、サイード・クトゥブ、アイマン・ザワヒリビンラディンを通して広がって行く。

なお、「イスラム過激派」という表現については、田川建三氏が鋭く論じているので、以下に引用。

 とりあえず、日本のマスコミのいくつかの言葉づかいに、文句をつけておきましょうか。
 「アラブ穏健派諸国」 という言い方。エジプトやサウジアラビアなどのこと。どうしてアメリカに従順でへつらっている国が 「穏健派」で、アメリカを批判し、反対する国が 「過激派」 なんだ? アメリカの世界的テロと殺戮行為を手放しで支持し、支援することが、どうして 「穏健」なのだ? せめて、「親米派」 「反米派」 と言ったらいかが?

 「国際社会」 。 日本のマスコミや自民党政府、国家官僚どもが言う 「国際社会」 とは、何だ? 何が 「国際」だ? アメリカに協力することだけが 「国際」 で、アメリカに反対するのは 「過激」 なのか? いい加減にしろよ。 「国際社会」なんぞと言わないで、せめて、「アメリカとその同盟諸国」 と言ったらどうなんだ。

 「パレスチナ過激派」 。 だったら、まずそのパレスチナ人の土地を奪い、殺すことによって、中東問題のすべての原因を作り、いまだに、その「パレスチナ過激派」 が殺したイスラエル人の数百倍、数千倍ものパレスチナ人を殺し続けているイスラエル政府と、そこの人口の過半を数える右翼ユダヤ主義者たちを、何で日本のマスコミは「過激派」 と呼ばないのだ


▼第2部「ビン・ラディンの実力」(原題:The Phantom Victory)

 1979年末のソ連によるアフガニスタン侵攻で、イスラム過激派とネオコンの奇異な同盟が生まれる。アメリカが資金と武器を提供したムジャヒディン戦士の中に、若きサウジ富豪オサマ・ビンラディンがいた。10年後にソ連が撤退したとき、イスラム過激派もネオコンも「悪の帝国」を倒したのは自分たちだと信じ、それぞれ世界革命に乗り出す。前者はアラブ圏において暴力と恐怖で支持者
を集めようとし、ネオコンクリントン大統領の追い落としを図って、ともに挫折に向かった。ここから、空想と欺瞞と暴力に彩られた9・11とその後の世界が生まれる。

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エジプトのルクソールで観光客が犠牲になった痛ましい事件があったが、当時その社会的背景はあまりよく分からなかった。第2回の放送を見ると、当時、暴力革命を唱導する少数の政治集団があの事件を起こし、国民的反発を買い、一挙に地下活動に追いやられたことが分かる。

さて、第3回目を見るのが楽しみだ。