『イギリス哲学の基本問題』

話は変わり、寺中・大久保編『イギリス哲学の基本問題』の「第7章 功利主義の台頭」を読む。139頁にちょっと気になる箇所がある。ベンサムの功利性の原理の説明をしている箇所で、「一方においては善悪の基準が、他方においては原因と結果の連鎖が、この二つの玉座につながれている」とある。

何度か論文でも言及したが、この「善悪の規準」の原語は「the standard of right and wrong」であるから、「正邪の規準」とする必要がある。というのも、ベンサムにとって快楽はそれ自体善(good)であり、苦痛はそれ自体悪(bad, evil)である。幸福は両者の差し引きで捉えられていて、功利性の原理は、その差し引きの結果から物事・行為・政策の正邪を判断するという仕組みになっているからである。

「善に対する正の優先性」とは若干意味が異なるが、ベンサムが擁護しようとしたのは、諸個人の自由な善の追求を可能にする正義の諸制度の設計だから、功利性の原理が「善悪の規準」となっては困るのである(あ、なんだか論文調)。

 翻訳は便利なものだが、頼りすぎると思わぬ落とし穴に陥ることになるので気をつけなければならないと自戒する。