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昨今、猛烈な勢いで普及しているブログ。始めようと思いつつも、なかなか始めるきっかけがなく、1年くらいは経っただろうか。ようやく重い腰があがった。

お昼過ぎ、週末にあるお茶事でお正客をするために、知人にお稽古を付けてもらう。茶暦は一応8年になるが、中身は初心者同然なので、例えば、表千家では塗りの香合は風炉の時期、焼物の香合は炉の時期であるということを初めて知ったりといった按配(尤も私の流派は裏千家)。

茶筌の持ち方では収穫があった。通常、お茶を点てる際、茶筌を持つ手は、右手親指が6時の位置、人差し指は12時、中指は13時くらいの位置に来るようにして真上から持ち、12時から6時の縦の線で振るう(画像がないと分かりにくいですね)。

しかし今日教わったのは、それぞれの指の位置はほぼ同じだが、茶筌を真上からではなく、やや右横からもつようにする。そうすると茶筌を振る際に手首に負担がかからない。これはいろいろ試す価値があると感じた次第。

お稽古の後は、モスで The Antislavery Debate, Capitalism and Abolitionism as a Problem in Historical Interpretation, ed. Thomas Bender, University of California Press,1992 の中から、25日の研究会で報告できる論文がないか調べるが、どうもぴんとこない。

仕方がないので、図書館で文献を漁っていたら、Politics and Vision で名高い!? Sheldon Wolinが、その増補版を出したらしく、今月号の『思想』にその一部が訳出されているのを見つける。

ポストモダン・デモクラシー(上)――虚像か,一時的なものか――」というタイトルで、その前には、「「スーパーパワー」批判とポストモダン・デモクラシー論 ――ウォリン著『西欧政治思想史』増補新版の刊行に寄せて―― 」という題で、千葉眞先生が解説をお書きになっている。

とても興味をかきたてられる内容なのだが、これを報告してはまずいかな。。。まずいでしょうね。

夜は、赤坂まで自転車を飛ばし、某男声合唱団の練習。

テノールの大御所、○林先生の懇切丁寧なご指導(先生のHPを拝見すると、かつては怖い先生だったよう…)で、あっという間に3時間が過ぎる。

発声練習では、胸を大きく広げ、しかも厚みを出すように、少々ふんぞりかえった形で、息の流れを作ることを指導される。その形で、地面から浮き立たないようにすると(高い声を出そうとすると、素人の悲しさ、つい体が持ち上がってしまうのです)、不思議なことに、力のある声、柔らかい声が自由自在に出る。

これは楽だと思っていたが、いざ歌の練習に入ると、思ったよりも声が出ない。合唱も、なかなか一筋縄ではいかないものだ。

練習後は、毎度の如く、近所で一杯。ビアガーデンは気持ちがよかったが、今夜は少々肌寒く、ビールがそれほど美味しくは感じられない。合宿の相談などを。。。

しかしそろそろバイトをしなければ、生活が危うい…。もちろん、研究もだが。。。